水戸藩 第九代藩主 徳川斉昭公が取り組んだ焼物です。
斉昭公は、藩の財政再建に止まらず、藩民の利益創出を目的とし、天保九年、七面製陶所を開窯し、陶磁器の生産を行いました。
陶器の製造に使用されていた原料は、旧水戸藩の領地であった小砂(今は小砂焼で知られる栃木県 那珂川町 小砂)の陶土が使用され、高野より産出された陶土は、原~湯沢を通って広瀬川岸へ運び、那珂川にて船で運搬されていました。
七面製陶所への陶土の運搬も主に船を使用し、運搬経路は那珂川から旧桜川を通じて千波沼(今の千波湖)へと繋がる水戸城を中心とした自然の水路が利用されていたと考えられています。
明治維新の廃藩置県に伴い、明治四年頃に七面製陶所が閉鎖され、わずか三十年余りで途絶えてしまった「幻の焼物」です。